日本の未来: 正しい答えが欲しければ、その答えを持っている人に聞くこと

2013年01月09日 Saidani

翻訳:kawasaki

この3年間、我々は、大多数を占めている頭がよくて勤勉な人々が少数の無能な指導者たちに翻弄されるという、はなはだ不幸な状態を作り出す結果となった日本政府の衰退について記録してきた。 本当は尽くすべき国民に対して情けなく鈍感であるということは、ほとんどすべての国の支配階級に共通している問題である。

景気が良いときには、日本のような先進国では政府の力を借りずとも何の支障は起きないので、国民の声に鈍感でもほとんど大きな問題にはならない。 政府による干渉や能力不足があっても、それは経済拡大の陰に隠れており、景気が悪くなったときのみ社会にとってマイナスの部分が露出することになる。 この20年間に日本人が学ぶべきことがあったとすれば、それは政府は政府自体の失敗から回復する能力やノウハウは持たないということだ。 悲しいことに、人々はこれを学んでいないように見える。そしてそのために、政治家や官僚が自分たちで招いた問題を「正す」計画を打ち出すたびに日本の未来はどんどん暗くなっている。

我々は、人々がこの学びを得ていないことを知っている。 なぜならば、人々は異口同音に、政府が引き起こした問題をどうにかして欲しいと言っているからだ。 これは、人の家に泥棒に入りその上火を放った悪党に戻ってきて消火活動をしろと言うようなものだ。 政府が日本の抱える大きな問題の解決策をもたないのは、単純な事実である。 ということは、人々が実用的な思慮分別をもつならば、解決策をもたない人に解決法を聞いてもどうにもならないということを認識すべきだ。

それでは、誰が答えを持っているのだろうか? 答えは明白だ。 しかしそれが問題の焦点でもないのだ。その質問を投げかける相手は自分自身だからだ。 「あなたは、問題を解決するのに自分自身のために何をしていますか?」

ほとんどの人はその質問に対して、「私個人として何ができるのだろう?」という間違った別の質問をしてしまうのだ(もし本当に質問をする勇気があるならば)。 これは、とりもなおさずあなたは自分の人生をコントロールしていないばかりか、他人・・・政府とか日本株式会社とかに自分の人生をコントロールさせていることを意味する。 したがってあなたは自由ではない。

自分が自由でないことを認識した後に来る質問は、「私は自由になることを望んでいるのか、あるいは誰かほかの人に自分の生き方を決めてほしいのだろうか?」である。 これは皆さんが考えるべき真面目な質問だ。確かに自由と引き換えに安全と安心をそれほど愛情深くもない政府から貰うという考えもある。 残念ながら現代の若者が分かってきている通り、政府が用意してくれる安全・安心は、最近は本当の安全・安心からは相当遠くなっているということだ。

欠くことのできない自由と引き換えに一時的な安全を求める者は自由も安全も手に入れる資格はない。 - ベンジャミン・フランクリン

私はアメリカ人の未来の幸福を予言する。もし彼らが、政府が国民の面倒を見るという言い訳のもとに無駄な労働をすることを阻止できるのならば。― トーマス・ジェファーソン

戦後米国が書いた日本の憲法に、米国憲法を書いた人々の哲学が反映されていないのは不幸なことかもしれない。 日本人は自由社会を作る素材の入っていない憲法をその代わりに与えられたのだから。 その憲法は、政府の強固なコントロール下に置かれた社会を重要視し、自由は表向きの印象のみを与えるだけだ。今日アメリカ人がかつて日本人には教えなかった自由を失いつつあるというのは慰みであろうか。 ただし、日本は西洋から消費主義だけは十分すぎるほどもらっており、この数十年間の日本文化の中心となっているように見える。

偉大な社会の力は、一番低いレベルから生まれる、すなわち個人である。個人が強くなければ、強い家族は存在しない。強い家族がなければ、強力なコミュニティーもないのだ。強いコミュニティーなしでは、強い町はあり得ない。 そしてそれは国家レベルへと続く。すべてのレベルを通じて受け継がれる強い個人の特徴とは個人的な責任感、勤勉さ、自分や周りの人々に対しての品性ある行動などである。

これらの特性を持ち合わせなければ、その個人は強いとは言えない。 どんなに自分を高く評価しても、義務や責任を果たさずに他人に押し付けるのであれば、これらの特性を持っていない。そして、これが日本の社会をダメにしているのだ。 あまりにも多くの個人が自分の責任と自由を代償として共同社会の安全を求め、政府に個人の力を奪うことを許してきたのだ。 子供たちはといえば、彼らは自己責任より社会や政府に対する責任の方が大切だと教えられてきた。

これは、色々な意味で近視眼的な考え方である。 個人を弱くするばかりでなく、政治家、官僚、大企業など少数の手に過大な権力を集中させる結果となるのだ。これらの人々が法律を作り、その法律を施行し、雇用を生んでいる。 個人に全く力がなければ、これらの層の人々は、公共のためにという名目で欲しいままに振る舞える。 個人は支配階級の奴隷となるのだ。 これでは現代日本が呈している状態は、まるで封建時代の日本のようだ。

この社会主義的システムの信奉者は多数による安全を指摘する。 小さな魚の群れは大群となって移動し、天敵から身を守る。 しかし、魚の群れをある程度守ることはできても、群れの外側近くにいる魚はどのみち食べられてしまう。 少数の個々の魚を犠牲にすることで、群れは生存できる・・・個人に置き換えてみたら割の合わない話だ。

ありがたいことに、 - 大体においでだが - 人間は魚とは違う。 ひとつには人間は食物連鎖の頂点にいるので、人間の天敵は他の人間ということだ。 個人が自分の力を最大の天敵である支配階級に捧げて保護を受けるというのは本人にとって良くない。 各個人が強くなって自分の身は自分で守ることの方がよい。 そうすれば、全権力を握った支配階級は要らなくなる。

我々の過去の記事で、弱い公衆の様々な症状を記録に残してきた。 家族は大変な速度で崩壊している。 出生率は下がり、離婚率は上がっている。貧困と母子家庭・父子家庭は増加している。 自殺は若者の間でも増えている。 政府は、破たんしかけた財政を救うために増え続ける借金の重圧下で人々にお金を使うことを奨励する一方、家計の収入は減り、経済は悪化している。 地方の町村は過疎化を続けゴーストタウンのように忘れられている。 食物を自分の手で育てる方法を知っている人が減る一方、都市の小さなコンクリートの箱に住むことで満足する人が増えている。 生活必需品は国を挙げて他国の善意に頼っている。 支配階級が日本の人々を保護し、必要なものが手に入るようにしたことは否定できない。

そこで、先ほどの質問に戻ろう、「あなたは問題解決のために何をしていますか?」  最初に決断すべきことは、自由で強くなることであろう。 これは、政府にお願いすることではない。 自分自身のためにするべきことだ。

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