日本の教育 - パート4:政府の敗北のメッセージ

2012年02月22日 Saidani

翻訳:kawasaki

最近の日経のヘッドラインに新卒者に対し彼らがすでに知っていることが書いてあった。

日本企業は留学生の雇用を増やしている

他の最近の複数の記事は、日本がグローバルな環境での競争力を維持するのに十分な数の(欧米諸国への)日本人留学学生を送り出していないことを書いている。 有名大学は新学年を秋に設定して外国からの学生を受け入れやすくしようという、誤った考えに陥っている(事実を見れば、日本で勉強する外国人学生は日本駐在の外国人重役の子弟か、日本に親戚のいる外国人か、日本が「イケテル」と感じる親日派の学生しかいないというのに)。

さらに、政府は、多額の民と官の金がインチキ英語教育に無駄遣いされているにもかかわらず、英語を話す日本人大卒者の少ないことを常に指摘している。

それでは、真相はどうなっているのか? 一般人は、政府は文句ばかり言っていると思っている。皮肉なのは、政府は明治時代以来日本人の教育の責任があることを考えれば、すべての不平不満は自己批判でしかないということである。政府は自国の教育の管理をしそこなっただけのことで、他の部分での無能さを見ればこれはその一部にすぎない。

多くの人が声をそろえて失策を指摘する他に、おせっかいな政治家や官僚がそのことについて口を開くたびに政府は国民の潜在意識に対し、特に若者の、非常に危険なメッセージを発信することになる。そして、そのメッセージというのは、西欧が支配する世界では日本人であること自体がダメだということだ。

ちょっと考えてみて欲しい。 政府では誰も日本の大学を世界で称賛されるレベルにするための目標設定をしていない。 現在の日本の教育制度の失敗を認めたうえで日本の教育レベルを上げるための力強い計画に関する演説を空き箱の上に立って街頭で演説をする人もいない。 日本が過去も現在も未来においても世界中の誰とでも立派に競争していけるというのに、日本国を弁護する人もいない。

その代わりに、この国のリーダーたちは2流であることに甘んじている。 1945年の敗戦のメンタリティーを今日まで引きずっているのだ。 そして 全世界に対して現在のエリートたちを鼻を鳴らす愛玩用の犬にしてしまっている。

民主党が政権を得た直後の日本政府が事業仕分けをしたとき、作業責任者の蓮舫民主党議員はスーパーコンピューター開発予算の申請に対してスーパーコンピューターの開発競争で「日本がNo. 2ではだめなのか?」と質問した。 No. 2満足するという考え方はたぶん企業だけではなく、日本の官僚制度、学校、大学、研究機関にも蔓延しているだろう。

この観点から政府は教育制度の失敗を認める代わりに、日本の子供たちのせいにすることを選んだ。 そして、これは子供たちにとってこの上なく不公平である。なぜならば子供たちから無駄で何の役にも立ちそうにもないテストで子供時代を奪い、予備校へ行くことを余儀なくさせているからである。 そして有名大学へ進学するには、課外活動をする必要があるという不文律まである。 結果は日本の子供たちは朝から晩まで学校のことで忙しくしている。 子供たちによるこのような努力を政府は忘れるべきではないし、自分たちへの批判をかわすことはもってのほかだ。

実際、子供に大人と同じ時間管理や予定をこなすことを強要するのは、自然の子供時代を子供たちから取りあげてしまうので、彼らにとっていいことはない。 西洋諸国ではこのように忙しい学校生活は見られない。

日本人はテストの成績イコール知能の高さだと信じている。 真実は教育制度がテスト向けの教え方をしているだけで、高い得点数は教育の成果ではないということを雇用する企業側も分かってきている。

「成績は問題である。 最も一般的なレベルで考えても、成績をつけるということは、やっていることが自発的にやるにはつまらなすぎるということが言える。 その証拠に、遊び方や、自転車の乗り方や、キスの仕方に成績はつかない。 物事への楽しみを奪う最も良い方法のひとつは強制することと判断基準となる成績をつけることである。 成績はやりたくない人を物事を強制するのにこん棒で殴ることと同じで、子供たちに一生を通して何かしらの権威に従うことを教え込む道具でもある。」” デリック・ジェンセン

日本のリーダーたちはすべてが整列し管理されていることを望んでいて、それは国の未来を担う子供たちに対しても同じである。 1世紀にわたるこの体制で得られたものは、日本は依存度の高い国民を作り出してしまった。彼らは、テストを受けることに長けており、グループで良く働き、権威のある者の命令を聞くのが得意である。 日本人で個人として成功している人たちは、日本の教育制度にもかかわらず自分の意思でそうしてきたのだ。

現代のリーダーたちは日本人に革新が欠けていることを嘆く。 しかし、教育制度がグループと同じに考え行動することを要求しているというのに、他の何が期待できるだろうか。 日本で好んで出る釘になりたい人はいない。 特に、自分たちの生活や人生において何の権限も持たされておらず、自分の個性を伸ばすことの重要性も教わっていない子供にとってはなおさらのことである。

「すべての人間の発達は、どのような形であっても、ルールの外でなければならない。そうでなければ、我々は新しいものは何も得ることはないだろう。」 チャールズ・ケッタリング

日本の子供たちが学校で習うコンセンサスは何も新しい発明にはつながらない。 それは、日本の史上最大の借金と慢性的な衰退以外には、なにも創りださなかった。 コンセンサスで動く団体からは革新は出ていない。 にもかかわらず、日本の教育制度は周りと同化することを教え、知識のテストを続けている。

最初に、神はまぬけを創られた。 小手先調べといったところだ。 それから、神は教育委員会を創られた。 マーク・トウェイン

このトウェインの引用文に、日本の子供たちと国を餌食にしてこの国の教育制度から潤う中央官僚、政治家、組合も含めたい。

最後に、日本政府が証明しようとしているアルバート・アインシュタインの言葉を贈りたい。

「学校教育の果てに好奇心が生き残れるのは奇跡である。」 アルバート・アインシュタイン

 

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