これは今や世界の問題でもあるが、我々は現時点では日本のことだけを懸念している。世界のことを心配するにはあまりにも大き過ぎるからだ。
大きいことの問題点は、重大な問題に対処する人々が単純な問題に対し、複雑な解決策を考え出してしまうことだ。それは今、世界中の政府や中央銀行の財政工作や、中央銀行を所有する諸銀行に大抵関係している「破綻させるには大き過ぎる」という概念の中に見られる。銀行に投入されてきた大量の資金を考えると、ヨーロッパ諸国がデフォルトに陥ったら、債権を抱える銀行が破綻するという以外に、ヨーロッパの救済措置はギリシャやアイルランドの負債とはほとんど関係がないと聞いても、誰も驚かないはずだ。こういった諸国の無担保債務者を守るためだけに、銀行は過度に借入金に頼って、融資を継続するという悪しき手段を取ることによって、納税者に負担を課すべきではない。
権力の座に就く人々は権力を維持したいと考え、国家全体に恩恵をもたらすよりも、その目標を念頭に置いて行動し、責任を追及する対抗勢力がいたら許されないようなことをするため、社会の問題は規模とともに増加する。その中で、残念ながら、日本国民は対抗勢力を経済全体の4分の1近くの規模になった政府にもたらす力を失ってしまった。せいぜい出来ることといえば、実際に権力構造を変えることなく、公職者の首をすげ替えることである。
大きいことに対処するもう1つの方法は、スターリンのソビエト連邦のような方法だ。全ての人が平等・・・平等に貧しい世界である。言うまでもなく、王様のように暮らし、卑劣な専制君主のように振舞う権力者は除く。現在、世界にはこの制度のもっと人道的なバージョンを見たいと考える人が多いが、我々はこの方法を頭から相手にしていない。
数カ月前、ネット上で「この経済危機は『大きいことの危機』だ」という興味深いタイトルの記事に出くわした。そういった記事は私の関心を引く。他の多くの観察者と同様に、私も政府と多くの企業はあまりにも大き過ぎるため、善意の目標すら達成できず、より中央集権的な社会に対する衝動──「大きいこと」につながる衝動──は、最初から間違いだったと確信しているからだ。「グローバル・ガバナンス」を形成する試みも同様だ。グローバリズムは富裕層をより豊かにし、中流階級を一掃し、莫大な数の貧困層を生み出す運命にあるようだ。そんな制度で本当に統治できるのだろうか?
その記事を読んで、それまで聞いたことがなかった思想家の著書を初めて目にした。レオポルド・コール。E・F・シューマッハの師だったことが判明した人物。『スモール・イズ・ ビューティフル~人間中心の経済学』(1973年)というタイトルがついた、漠然と関連したエッセーの収集書で最もよく知られている。コールは自分の原稿『The Breakdown of Nations』(壊れた国家)を手掛けてくれる出版社を見つけようと10年近く費やし、1957年にようやく出版される。この著書の「大きいことへの崇拝」に対する非難は、より大きな組織、より拡大した中央集権に向かっていた時流に逆らっていた。権力はすでに国民国家から国際機関(国連、IMF、NATOなど)に移行し始めていた。コールの著書は無視され、跡形もなく消えた。1978年まで絶版のままだった。宣伝なしで出版された第二版も消えた。2001年5月にグリーンブックスが再出版するまで、またしても絶版になった。この著者は何者で、そのメッセージは何だったのだろうか?
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基本的な考え方はこうだ:全ての組織には最適な大きさや規模がある。適切な規模を超えると、機能障害を起こして崩壊する結果になる。一見奇妙な質問に思えるが、『戦慄! プルトニウム人間』(1950年代の愛すべき陳腐なSF映画)のように、なぜ人間が身長200フィート(約60m)になれないのか考えてほしい。答え:自分の巨大な体重のせいで立ち上がれないから。骨格構造も重過ぎる。さらに内臓器官は自重で次々に押しつぶされる。ここで唯一それとは逆に作用できるものは、重力の影響を和らげる大規模で非常に強力な筋肉組織だろう。しかしそういった組織は巨大な人間の体重をさらに増やすだけなのだ!
有機的組織と同様に、組織・経済・社会にも最適な大きさがある、と『The Breakdown of Nations』でコールは主張している。その大きさを超えると、機能が少しずつ低下する。特にすぐに現れる政治問題は、エリートが簡単に権力を握り、乱用し始めることだ。こういったことはたくらんで行う必要がない。
コールは、人間が営むどんな機関も大きくなり過ぎると、権力の乱用が将来必然的に起こると考えている。権力者は罰せられない程度まで権力を乱用して逃げ切ることができる。報復するか、少なくとも時の権力者を抑制する他勢力がないからだ。コールは人間の本質について解説している(コールはほとんどキリスト教に言及していないが、原罪の概念と非常に一致する考え方である)。
コールは自分の主張を攻撃勢力説と呼んでいる。社会的残忍性・残酷性は、加害者が罰せられないで済むと認識する程度まで出現して悪化する。コールは「権力を持っている人は誰でも結局、妥当な非道行為を行う」と指摘している(『The Breakdown of Nations』P47)。
この中には、責任を取らせるより大きな権力がない場合に自らが定めた法律を破ることも含まれる。より大きな権力だけが国民の集合意思になり、人間の規模が維持される場合に、ある種のフィードバック・ループとして機能することができる。あまりにも大きくなり過ぎた政治組織で十分な権力を手にしている人物は、「より大きな既存権力の集積によって抑制されることはないと信じて、権力がその所有者の中に誘発することなら何でも行う」(同書)。
一言で言えば、まさにそれが日本なのだ。政府はただあまりにも多くのことを管理しようとしている。制度はあまりにも大きい。政府もあまりにも大きい。政府は非常に多様な経済問題、多数の経済階級層、1億2000万人の利害関係に対処することができないため、解決策は特別利益団体に焦点を合わせたものになってきた。
残念ながら、政府の行為は将来にとって幸先のいいものではない。管理するには大き過ぎるというこの教訓を学ぶ代わりに、政府はアメリカ主導のTPPに参加して、さらに国民の声を弱め、必然的に管理の複雑性が増すことになる、より大きな組織に日本を入れるつもりだ。政府が日本を管理できないことを考えると、国民はより大きな連合がうまく管理され得ると期待すべきだろうか?(アメリカがこういった組織を管理する秘訣を知っていると、どうか誰も思わないでほしい。)















