“低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ
報告書”が、昨年12月22日に発表された。
“福島の現状に対する評価”ついて
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年間20ミリシーベルトを避難の基準としてきたが、
実際の被ばく線量は、年間20ミリシーベルトを平均的に
大きく下回ると評価できる。
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もちろん、”政策”として、被ばく線量をさらに低減する努力が必要だと書かれているのだが、
政府の対応にこれまで緊迫感がないのはなぜか?
福島の現状に対する評価として、さらに以下のような内容が挙げられている。
国際原子力事象評価尺度(INES)は、チェルノブイリ原発事故と同じ「レベル7」
だが、放出された放射能量は7分の1程度だから、影響もそれだけ少ないだろう。
ICRPが提言する緊急時被ばく状況の参考レベルは年間20 ~100 ミリシーベルトだが、
最も厳しい年間20 ミリシーベルトを採用して避難地域を設定した。
安全性を重視したモデルを採用しているから、
ほとんどの住民の事故後一年間の実際の被ばく線量は、20 ミリシーベルトよりも小さくなるだろう。
外部被ばくについて、福島市における子ども・妊婦36,478 人を
個人線量計を用いて測定した結果、
2011年9月の追加的な被ばく線量は0.1 ミリシーベルト以下が約8割を占めた。
(平成23 年11 月1 日福島市災害対策本部発表資料)
福島市の空間線量率は毎時約0.92 マイクロシーベルトで、
年間約4.8 ミリシーベルト、月間約0.4 ミリシーベルトに相当すると推計できるが、
測定結果に比較すれば、実際の被ばく線量の測定値は推計値の4分の1程度となる。
内部被ばくの大部分を占めるであろう食品摂取に伴う被ばくについては、
厚生労働省が集約した飲食物中の放射性物質濃度の測定データを用いて
薬事・食品衛生審議会が、被ばく線量を推計したところ、
年間0.1 ミリシーベルト程度(中央値)にとどまると評価されている。
これは、福島県民のみを対象にした推計ではないが、
一般的に住民は多様な産地の食品を摂取していると考えられるので、
評価に値する材料である。
大丈夫???
個人線量計(ガラスバッジ)というのは、医療や原発などで仕事をする人が被ばくを管理するために
携帯する放射線量測定機である。
多くの人に配布できたように価格も高くはないし、機器の目的からいって、
低い線量は検出できないだろう。
“専門家”集団による報告書で、このようなデータが”安全基準”とされること自体が不安のもとだ。
これに限らず、政府が”安全の根拠”とするために行う検査には、充分に目を光らせておきたい。
検査の方法自体が不適切かもしれないし、評価基準は明確ではないのだから…!
この報告書は、低線量被ばくの影響、年間20ミリシーベルトの被ばくリスク、
子どもや妊婦に対する対応等、配慮すべき事項にも焦点を当てて議論し、
広島・長崎の原爆被爆者、チェルノブイリ原発事故での周辺住民等への疫学調査結果、
低線量被ばくに関する国内外の科学的知見を整理して(!)作成されたという。
報告書の冒頭には、このワーキンググループの判断過程を国民に理解してもらうために
議事を公開し、国内外の有識者による幅広い意見も取り入れたと書かれている。
そしてこの評価はあくまで”科学的に一致した見解や評価がない”現時点”での
科学的見地からの評価であり、整理であるとも書かれている。
つまり、専門家といわれる人々にも、意見は様々で、明確な判断基準は存在しないから、
国民である私たちがこの報告書を読み、
少なくとも現実に即して導かれているかどうか、政府の対応の裏付けとして充分どうか、
判断すべきだということだ。
そもそも原発事故による放射線物質の拡散や、その健康への影響については、
人類史上データが少ない。
この報告書が言う”科学的知見の根拠”として挙げられているのは、
国連科学委員会(UNSCEAR:United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiation)、
世界保健機関(WHO:World Health Organization)、
国際原子力機関(IAEA:International Atomic Energy Agency)等による、
広島・長崎の原爆の人体に対する影響の調査やチェルノブイリ原発事故に関する報告書である。
なるほど、この報告書の印象は、今までのデータを整理したアカデミックなもので、
その内容の多くは、3.11の事故以来、私たちがインターネットや本で目にしてきたものと、
あまり変わりはないだろう。
事故発生から9か月以上も経てから、おそらくは素晴らしい頭脳を結集させて、
一体どれだけのコストをかけて、この報告書は作成されたのだろう? あ~勿体ない…!?
今後の政府の対応を裏付けるために作成されたものだから、
都合のいいようにデータが選ばれていても不思議はない。
充分なデータが得られない簡易機器による測定データが”安全”の基準に据えられて、
その後も見過ごされてしまうとしたら、じわじわと被ばくしているであろう人々への
人権侵害に等しい。
非常時だから、想定外だったから、と許されることではない。
安全の根拠も危険の根拠もわからない中で、
この国の政府はどこを根拠に据えようとしているのだろうか?
原発の安全神話が崩壊したように、この件に関しては科学的根拠の無力さも、
私たちは認識すべきだろう。
数少ない”科学的知見”から政府が選んだ”根拠”によると”あるはずがない”ことが、
福島で起きている可能性を否定することができるだろうか?
インターネットの中では、鼻血、下痢、倦怠感が続く、あるいは皮膚の異常など、
“原因のわからない異常な事態”が福島に起きているようだとわかる。
すべてが原発事故の影響ではないかもしれない。
しかし、原発事故の影響だという”根拠”がないゆえに、マスコミが報道しない
“福島の現実”を”ないもの”としてしまっていいのだろうか?
いまのところ、原発事故の影響ではないという根拠だってないだろうに…。
せめて、住民からの現状報告を取りまとめるべきではないのか?
賠償を避けるために、政府は福島の人々を見捨てるつもりだろうか?
この小さな島国に同じく暮らす私たちはそれを見過ごすつもりだろうか?
ぜひ”低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ 報告書”を読んで、
考えていただきたい。
以下に気になった部分をまとめてみた。
“現在の科学でわかっている健康影響”について
—–”低線被ばくのリスク”————————————————————————
広島・長崎の原爆被爆者の疫学調査では、被ばく線量が100ミリシーベルトを超えるあたりから
発がんのリスクが増加することが示されているが、
国際的合意(←これもよくわからない!?)では、100ミリシーベルト以下の被ばく線量による
発がん性のリスクは、他の要因によるものに比べて小さく、
明らかな増加があると証明することは難しいとされている。
100ミリシーベルト以下の被ばくであっても、
持続的な被ばく(←例えば内部被ばくなどということだろうか…?)の場合は、
もっと長い期間が経過した時点で発がんリスクが明らかになるかもしれない。
だから、いずれにしても徹底した除染を含め予防的に様々な対策をとることが必要である。
—–”長期にわたる被ばくの健康影響”————————————————————–
前述の100ミリシーベルトは短時間で被ばくした場合の評価だが、
低線量率の環境で長期間にわたり継続的に被ばくし、積算量として合計100 ミリシーベルトを
被ばくした場合は、短時間で被ばくした場合より健康影響が小さいと推定されている。
高自然放射線地域の一つであるインドのケララ地方住民の疫学調査では、
蓄積線量が500 ミリシーベルトを超える集団であっても、発がんリスクの増加は認められないが、
旧ソビエト連邦、南ウラル核兵器施設の一連の放射線事故で被ばくした地域住民の疫学調査では、
蓄積線量が500 ミリシーベルト程度の線量域において、発がんリスクの増加が報告されている。
いずれの調査においても 100 ミリシーベルト程度の線量では、リスクの増加は認められていない。
東電福島第一原発事故により環境中に放出された放射性物質による被ばくは、
長期的な低線量率の被ばくであるため、瞬間的な被ばくと比較し、
同じ線量であっても発がんリスクはより小さいと考えられる。
—–”外部被ばくと内部被ばくの違い”————————————————————–
放射性物質が身体の外部にあっても内部にあっても、それが発する放射線がDNAを損傷し、
損傷を受けたDNAの修復過程での突然変異が、がん発生の原因となるため、
臓器に付与される等価線量が同じであれば、外部被ばくと内部被ばくのリスクは同等と評価できる。
1ベクレルの放射性物質を吸入又は経口摂取すると、どの臓器がどの程度の線量を被ばくするかが計算できる。
したがって、核種による線質の違いや臓器の感受性を考慮して評価されたシーベルト単位の線量が同じであれば、
人体への影響は同じと評価される。
チェルノブイリ原発事故で小児の甲状腺がんが増加した原因は、事故直後数ヶ月の間に
放射性ヨウ素により汚染された牛乳の摂取による選択的な甲状腺への内部被ばくによるものとされている。
チェルノブイリ原発事故の周辺住民について、他の様々な疾患の増加を指摘する現場の医師等からの観察がある。
しかし、UNSCEARやWHO、IAEA等国際機関における合意として、
子どもを含め一般住民では、白血病等他の疾患の増加は科学的に確認されていない。
—–”子ども・胎児への影響”————————————————————–
一般に、発がんの相対リスクは若年ほど高くなる傾向がある。
しかし、低線量被ばくでは、年齢層の違いによる発がんリスクの差は明らかではない。
放射線による遺伝的影響について、原爆被爆者の子ども数万人を対象にした長期間の追跡調査や、
部位によっては原爆よりも高い線量を受けることがある放射線治療を受けた患者の子どもへの疫学調査においても
遺伝的影響は認められていない。
チェルノブイリ原発事故よりも、東電福島第一原発事故による小児の甲状腺被ばくは限定的であり、
被ばく線量は小さく、発がんリスクは非常に低いと考えられる。
小児の甲状腺被ばく調査の結果、環境放射能汚染レベル、食品の汚染レベルの調査等様々な調査結果によれば、
東電福島第一原発事故による環境中の影響によって、
チェルノブイリ原発事故の際のような大量の放射性ヨウ素を摂取したとは考えられない。
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“放射線による健康リスクの考え方”について
“100ミリシーベルト以下の極めて低い線量の被ばく”との記述がきになった。
そして原発事故による被ばくを、医療被ばくや自然被ばくと比較することは必ずしも適切でないとしながらも、
喫煙、肥満、野菜不足などの発がん要因のリスクや、医療被ばく、航空機での被ばく、
自然被ばくなどの数値が挙げられている。
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”ICRPの「参考レベル」”について
国際放射線防護委員会17 (ICRP: International Commission on Radiological Protection)が設定している
“参考レベル”については、そのレベルを下回るよう対策を講じ、被ばく線量を漸進的に下げていくための指標であり、
すべての住民の被ばく線量が参考レベルを直ちに下回らなければならないものではない。
参考レベルは、被ばくの“限度”を示したものではなく、“安全”と“危険”の境界を意味するものでは決してない。
長期被ばくを含めて現存している被ばく状況の参考レベルは、状況を段階的に改善する取組の指標として、
中間的には年間1から20 ミリシーベルトの範囲の中から選択するが、
長期的には年間1ミリシーベルトを目標として状況改善に取り組む。
計画被ばく状況においては、参考レベルではなく、“線量拘束値”21として設定することを提言しており、
一般住民の被ばく(公衆被ばく)では状況に応じて年間1ミリシーベルト以下で選択する。
チェルノブイリ原発事故後の移住措置等を見習うべきだという意見もあるが、
国際機関からは課題だったという評価もある。
年間5ミリシーベルト以上の場合移転させるという措置が現在も続いているが現実にはそれは徹底されていないし、
新たな基準はもっと高く引き上げられている。
チェルノブイリ原発事故直後1年間の暫定線量限度は年間100 ミリシーベルトで、段階的に線量限度を引き下げ、
5年目以降に、年間5ミリシーベルトの基準を採用したが、
福島原発事故においては、事故後1ヶ月のうちに年間20 ミリシーベルトを基準に避難区域を設定しているので、
漸進的に被ばく線量を低減していく参考レベルの考え方を踏まえれば、
この対応は、現時点でチェルノブイリ事故後の対応より厳格であると言える。
???
政府の遅い対応のいいわけのようではないか!?
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“住民参加とリスクコミュニケーション“について
マスコミ等で放射線の危険性、安全性、人体影響等に関して専門家から異なった意見が示されたことが、
地域住民の方々の不安感を煽り、混乱を招くことになった。
この反省に基づき、これまでに得られている科学的知見を検討し、
福島の状況に即したリスク評価を理解され易いかたちで、地域住民に提示することが重要である。
その結果、住民の方々が、放射線・放射能についての正しい知識に基づいた
自主的な対応ができるようになることが必要である。
長期的な取組のためには住民の積極的な参加が不可欠である。
???
自主的な対応って何だろう…? 例えば、除染作業への参加ということか?
さてこの報告書によって、あなたの不安は軽減されただろうか…?
政府は”国民の安全”を目指すよりも、”国民の不安”を取り除くことを目指している。
根拠のない安全を押しつけて”日本政府の体裁”を保とうとしているかのようにみえる。
事実と危険の可能性を共有することができないまま、
たとえばかけがえのない子供たちの為に今何をすべきかさえ、親同士でもなかなか話しあうことができない。
子どもを心配するたくさんの親は孤独に対応を模索している。
わけのわからないことが起きている時にこそ、”絆”が支えになるだろうに、政府のやり方はそれを邪魔している。
政府の方法では不安が募るだけであり、まず事実を把握するための努力を求めて、
“数”である私たちの声をあげていきたいと思う。















